こんにちは、山羊座占い師のシェラです(・ω・)
「それはそれ、これはこれ\(^o^\)(/^o^)/」戦法で、自分を褒めたり認めたりしよう♪

「一般的な社会から見て、正当に自己評価したい」
というポリシーがベースにあったから
なかなか自分を褒めることが出来ないし、
自信をつけることが出来なかったのでは?と最近思いまして。
相手の尺度と審美眼の方が正しいのかも、
ということにすると
自分の中の感じ方、感覚がおかしいのかな?
って疑い出してしまうし、
かといって、自分の尺度と審美眼は正しい!!
ということにすると
なかなか自分を褒めること、認めることが出来なくて
いつまで経っても自信がつかない~ (T▽T。)!
というスパイラルが発生する、という話でした。
では、どうやったらこのスパイラルから
抜け出せるのか??
と考えてみたところ、思いついたのが
「それはそれ、これはこれ\(^o^\)(/^o^)/」戦法!!
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まず、「自分の尺度、審美眼」というのは、
絶対大切にした方が良い。
それは、言うなればその人の
アイデンティティとも言えるもので、
何が好きで、何を美しいと感じて、
何に対して大きな感動を得るのか、
ということに繋がっているので、
その人のセンス、美的感覚、
バランス感覚を養っていく大事な部分。
そして、目の前のものが、自分にとって
心地良いのか? 違和感なのか?
を見極めるセンサーは、危険察知能力でもあるから、
「自分の尺度、審美眼」や「自分の感じたこと」
というのは、人生の道標。
その道標に耳を傾けられるのは自分だけだし、
そこを無視して進んでいくと、
心と身体にも影響して来るから
大切にしなければいけないものなんだ (‐ω‐)ウム
そして、自分には自分セレクトの
尺度と審美眼があり、
他人には他人セレクトの
尺度と審美眼があるということを
忘れないように、分けて捉える必要もある(・ω・)
ただ、これを意識し続けるのは
かなりの根気と練習量が必要だと思うので、
まずは自分の中のものに集中して取り組んでいくのが
良いのかなと思います(‐ω‐)
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では、自己評価については
どう取り組んだら良いんだろうか(・ω・)?
「一般的な社会から見て」という尺度を用いた時、
自分の位置が「まだまだのレベル」に居たら、
褒めるなんて言語道断だけど
でも、「一般的な社会から見て」
という尺度以外で
自分自身を見た場合は
どうだろう??
ん???
「一般的な社会から見て」という尺度、以外・・・
(・ω・`)???
そう、尺度は一つじゃなくて
良いのである\(^o^)/\(^o^)/
「一般的な社会から見て」という天秤(定規?)を
一旦テーブルの上に置いておいて、
自分を褒めたり認めたりするときは、
違う定規を持てば良いのである (`・ω・´)+
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例えば、過去の自分と比較して、
ちょっとでも何か出来るようになったかな?
って比較で見ていくのも良いと思うし、
たった今の自分が出来ていること、
何かしていることって何だろう?
って事実を見ていくのも良いと思う。
あと、そもそも「褒める」がハードル高いとか、
なんか嫌だなと感じるなら
「認める」だけでもやってみたら良いんじゃないか
と思った(・ω・)
今、私は寝ている。
頼んでもいないのに、身体が勝手に
鼓動を刻んでくれている。
これ、ただの事実だし「認めて」いるだけ。
「見て」いるだけ。(・ω・)
「認める」とか「見る」こと。
そこに存在していることを認めてもらえるだけでも、
「それ」は嬉しいんだ。
対象物は、いつだって見られたい。
見てもらえると喜ぶのだ。
だから、「自分」という名の対象物も、
「まだまだ、全然出来てない。ダメダメ。」
っていう風に
自分の存在に✕をつけられるよりも、
「お!今日はそれやってみたんだね。」
「お!今日のあなたはそんな感じなんだね。
うんうん、自由にやってごらん~。」
っていう、やったこととか、存在自体を
認めてもらえるだけでも、心が温まる。
褒めるのは、なんか違うんだよなー という方でも、
「認める」とか「見る」とか「見つめる」とかは
出来ると思うから、
同じように悩んでる方は、是非やってみては
いかがでしょう(・ω・)?
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私の場合は、
「それはそれ、これはこれ\(^o^\)(/^o^)/」
戦法で
ようやく私も、自分のことを褒められるように
なるかなー(´ω`)と思ったのですが、
やっぱまだ慣れてなくて、
「一般的な社会から見た尺度」が
染み付いてしまってるので
まずは、とことん
「自分がやったこと、出来たこと」を
認める、書き出す練習をしていこう~
と思います(^o^)/
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